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メタバースにもやって来る「シンギュラリティ」 情報リテラシーをないがしろにする日本が取り残される未来

「Information Literacy」もしくは「情報リテラシー」という言葉を意識する層は、いったいどれほどいるのだろうか。日本語に置き換えると「情報活用能力」とされるべきと考えるが平成21年の総務省白書を参考にする限り、国ではこれをどうも「ITリテラシー」と履き違えているように思われる。

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「情報活用能力」の「低さ」は、むしろネット民がささやくところ「情弱」、いわゆる「情報弱者」のほうがより近いだろうが、「情報弱者」という意味は、身体的障害や貧困によりIT機器へのアクセスが制限される状況から生まれる状態を指すため、ネット民による誤用がずいぶんと広がってしまたように思われる。

一方、文部科学省は「情報活用能力」について、平成29年に高校生を対象とした調査を行っており、その内容を以下のように的確にとらえている。

「情報活用能力とは、世の中の様々な事象を情報とその結び付きとして捉えて把握し、情報及び情報技術を適切かつ効果的に活用して、問題を発見・解決したり自分の考えを形成したりしていくために必要な資質・能力であり、この情報活用能力を育む教育が情報教育である」(原文ママ)。

文部科学省|情報活用能力調査(高等学校)

よって、ここで記す「Information Literacy」=「情報活用能力」の定義として理解して頂きたい。

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日本人の「情報活用能力」の低さは、和製英語が原因…

国別統計がつまびらかとなっていないものの、日本人の「Information Literacy」の低さは、その語学能力の低さに起因しているのではないかと実感している。日本におけるIT新技術が誕生しにくい基盤となっているに違いないと半ば信じるに至る。語学能力の低さの表れが「和製英語」。もはや日本人のDNAに深く刻まれているのではないかと懐疑的にならざるを得ない。

「サラリーマン」や「OL」という和製英語はそろそろ死語となりつつあり、少々安堵するのではあるが、「キャッシュバック」や「ベビーカー」などを英語だと信じ、世界では通用しない言葉がいまだ、そこかしこに溢れている。「ベビーカー」に至っては公共交通機関の構内放送などでも恥ずかしげもなく連呼されており、学校でいくら英語教育に力点を置いたとしても、英語の上達などどだい無理な話である。

おもちゃを指す「ミニカー」という言葉があるように、「ベビーカー」もまたサイズを示すと表現で「ベビーほどに小さいクルマ」と受け取られるだろう。乳母車は、英語では「stroller」。それにも関わらずカタカナに変換すれば、なんでもセンスがよろしいように思う誰かが、考案したのだろう。

先日もたまげたのは、「日本の匠が仕立てる高級『ボディバック』がこちら」とのWEB広告が表示され、椅子から転げ落ちそうになった。「ついに日本人は、死体袋さえ、ファッションにしたか!」と度肝を抜かれた。だが、どうやら「Sling Backpack」を日本語ではこう表現するらしい。ボディバッグは死体袋。サスペンス映画などのシーンで登場する死体を入れるジッパーのついた大きな黒い袋を指す。誰が考えついたか知らぬが、生粋の日本人としても、驚愕である。

いつぞやある語彙について、twitterで誤用を見つけたので「もともと英語の意味は…」とコメントしたところ「オレは日本に住んでいるんだから、ほっといてくれ」と返答された。日本に住んでいるゆえに、原語の意味など「どうでもいい」という島国根性はSNSにもはびこっている。

少々脱線しすぎてしまった気はするが、英語を的確に理解しないことには、最新テクノロジーについても、なかなか理解に及ばないであろう。今なら流行りの「シンギュラリティ(Singularity)」がそれだ。最近、すぐに「ああ、AIが人間を超える……」などとしたり顔で会話に加わる日本人のなんと多いことか。

「Singularity」はAI限定用語ではない

「Singularity(シンギュラリティ)」は、もちろんAIが誕生する前から存在する概念であり、日本語では「特異点」と翻訳される。意味は「この点を過ぎると、もはや後戻りができない」ポイント。「POINT OF NO RETURN」ぐらいに平易にすると、実は理解しやすい。

よって、「Singularity」という語彙は、実にざまざまな局面において使用される言葉である。宇宙膨張のトリガーとなった「ビッグバン」もシンギュラリティであり、「E=mc2」への気付きも物理学におけるシンギュラリティと捉えてもいい。その中でFuturologyというカテゴリーにおけるSingularityのみが、「AIうんぬん」の意味を持つ。

シンギュラリティと耳にすると、パブロフの犬的にFuturologyにおけるAIの会話に入るが、これも英語に弱いから、起こり得る事象にひとつだろう。Googleで「シンギュラリティ」と「Singularity」を検索してもらうと、少し合点が行くはずだ。

さて、ここからが本題だ。この「Singularity」実は「メタバース」についても起こり得る。つまり、人が手を加えることによりスタートしたメタバースは、発展や進化を遂げた時、シンギュラリティを迎えると、AI同様、人知の干渉を受けずとも、その自然発展するシナリオだ。

いや、少し表現を変えるべきか。メタバースは、おそらく「革命」のように、開発、提供したホスト側の意図を反映せず、市井の人々により自由意思を携えるように発展し、時代の潮流を作って行くはずだ。つまり、いかなる革命も、その潮流のコントロールは難しく、結末を想像し得ないのと同様、メタバースもいずれ人々の総体の意識の流れに任せざるを得ない状態に転換される。その特異点こそが、メタバースのシンギュラリティとなる。

まだ、こうした提言を持つ仮説は現時点であまり見られないように思われるものの、メタバース界を牽引するような人物は、みなこのシンギュラリティを予見しているのではないかと、私は勝手に思い込んでいる。

メタバースに起こり得るシンギュラリティの条件

さて、ここではさらにメタバースにおいて、シンギュラリティが起こり得る条件を提示してみたい。テーマは以下の3つに絞られよう。

  • ハードウェアの進化
  • 経済性の確立
  • 概念の転換

ハードウェアの進化

ハードウェアの進化については、そこかしこで何度か述べているが、メタバースが一般化する上で不可欠な要因だ。

先日も年に一度、ラスヴェガスで開催される「Consumer Electronics Show(コンシューマー・エレクトロニクス・ショー)」、通称「セス」、CES2022が行われた。現在は、その名称とはかけ離れ、世界各国からの最新テクノロジーのショーケースとなっている。

もちろん、日本メーカーも参加。ただし、少々驚いたのは「パナソニックが仮想空間に本格参入」という文脈で紹介された「最新」メタバース・ディバイスだ。

KYODO|パナ、仮想現実に本格参入

この写真を見た知人が「毒マスク?」とつぶやいたが無理からぬこと。もう少々、日常生活で着用可能に進化しなければ、なかなかメタバースのシンギュラリティは起こり得ない。

こうしたヘッドギアであれば、すでに米軍がHolo Lens2を導入している。作戦中は装着する忍耐も続くだろが、これを日常生活で身につけているのは荒行だ。このままでは、ディバイスのドラスティックな進化は難しそうだ。

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むしろ、進化の方向性を如実に物語るのは「スマート・コンタクト・レンズ」かもしれない。「mojo vision」はすでに、その実用化に近づいていると宣言している。「コンタクト・レンズのスマート化」がそもそものスタートではあるものの、すでにXR化にも着手しており、日本のメニコンも出資。さらに東京農工大学大学院も昨年3月にその開発計画を発表している。

mojo vision
MoguraVR|目に入れるだけ、東京農工大学が「スマートコンタクトレンズ」を開発

これほどに装着に支障がなければ現在、コンタクトレンズをつけ暮らしている人たちと同様に、日常生活の一部としてメタバースに安住する世界が具現化されるかもしれない。ハードウェアの進化だけに、こちらは時間の問題であろうし、一部のマニアだけが重宝するわけではない、日常生活に耐えうるディバイスが近い将来に誕生するだろう。

経済性の確立

2つ目は経済性による牽引だ。

Bloomberg|GIVING POWER BACK TO THE PEOPLE IN THE METAVERSE

こちらはブルームバーグによる、いわゆる提灯記事ではあるものの、その分析によるとメタバースにおける個々のゲーム・プレーヤーが稼ぐ収入は、新型コロナ禍における引きこもり需要も手伝い2020年の4780億ドルから2024年には7830億ドルに達すると試算している。

この記事では、フィリピン、ブラジル、ベネズエラなどの国々では、コロナ禍で観光業に打撃を受け、職を失った層がメタバースのブロックチェーン・ゲームで生計を立てるという現象も生まれているとしている。

これはひとえにブロックチェーンの活用により、ゲームで遊ぶことが稼ぐことに直結、「Play To Earn」のからくりが定着した、時代の趨勢だ。昨年6月に開催されたアジア最大規模のNFTカンファレンス「Non Fungible Tokyo 2021」では、「Play To Earn」についての言及が随所に登場、プレーヤーにとっては大きなモチベーションになると私も理解してはいたものの、ここまで定着しているのかと、つい考え込んでしまう。

「Play To Earn」はメタバースの「経済性」を象徴している。ゲームでもただ漫然とプレーし、時間を消費するだけにすぎない構造から脱皮、メタバースがバーチャルでもリアルでも経済圏を構築する流れとなれば、産業界が放置するわけもない。今後、こうした経済圏が発展し、メタバースの人々の流入を、企業の参入を促す大きなエンジンとなるだろう。

概念の転換

ひとつ目は単純にテクノロジーの進化ゆえ時間の問題。2つ目はすでに滑り出している状況を鑑みると、もっと大きなハードルは3つ目だ。

その3つめは、人々による概念の受け入れである。

現代のテクノロジーの変化のスピードは、一般人もしくはイノベーションに携わっていない人々にとっては、すでに「ついていけない」ほどのベロシティを備えている。私のような「昭和40年男」にとって幼少期、携帯電話などという代物は、夢のツールであり、原稿は手書きの原稿用紙をFAXで送信していた。写真はアナログの「フイルム」に撮り暗室で現像し、時としてそれをバイク便で届けた。それが現在では、すべてインターネット・プロトコルを介し、デリバリーが可能な時代となり、こうした変革のスピードは加速度的に増す一方だ。

テクノロジー普及の足かせとは

するとメタバースという概念そのものを受け入れられない人々が取り残され、さらに「Information Literacy」に欠ける層、情報弱者を生み出し続ける。これでは、シンギュラリティのきっかけがあったとしても、ごく一部の人々がこれを享受するのみとなり、真のシンギュラリティは生じ得ない。

ここでは「概念」という表現を用いたものの、これには法整備なども含まれる。現代社会において、概念は理解され、具現化され、法的に認可され、初めて実用可能となる。この法整備という観点からも、日本はすべてのビジネスについて遅れをとるのがお家芸だ。

例えば、ドコモが投資したARを具現化する「マジック・リープ」などは、日本の電波法をくぐるに時間を要し、これが普及においては大きな足かせになったという実情もある。

テクノロジーは日進月歩ではあるものの、そのテクノロジーの活用には概念を理解させ、さらに法の適合を待たなければならず、日本独自のテクノロジーの進化の足かせとなっている。

例をいくつか挙げると、日本でもIR法についての賛否、是非が話題となっているものの、イギリスやアメリカでは「スポーツ・ベッティング」そのものが、すでにスポーツの確実な収益源となっており、これについて日本ではまだ検討の俎上にも乗っていない。

世界各国で、複数の高速ドローンが競う「ドローン・レース」が、欧米ともにビジネス・ベースに育っているが、日本ではレース形式にのっとりドローンを複数台飛行させるには、ここでも法改正が必要という状況だ。

この人々による概念の受け入れこそが、日本におけるメタバースのシンギュラリティに立ちはだかる弱点となるのではないかと危惧している。今後、海外ではこうした3つの条件が、次々とクリアされ、メタバースにシンギュラリティが立ち起こった際、3つ目の条件を乗り越えられない日本だけが、世界から取り残される……そんな事態も生じ得るのではないだろうか。

日本における「Information Literacy」、「情報活用能力」の「低さ」は、それほどまでに深刻ではないだろうか。


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松永裕司
Forbes Official Columnist ● NTTドコモ ビジネス戦略担当部長/ 電通スポーツ 企画開発部長/ 東京マラソン事務局広報ディレクター/ MSN+毎日新聞プロデューサー/ CNN Chief Director などを歴任。出版社、テレビ、新聞、デジタルメディア、広告代理店、通信会社での勤務経験から幅広いソリューションに精通。