極めて私事で大変恐縮ではあるが、20世紀のエピソードをひとつ。
ノストラダムスの予言により人類が滅亡するとされた1999年、プリンスのアルバム・タイトル名としても有名な「1999」年という昔の出来事だ。
その春、ニューヨークはマンハッタン、ユニオンスクエアの映画館へ『The Matrix』を観に足を運んだ。封切りから20余年が経ち、リブート的続編『The Matrix Resurrections』も公開された現在となっては、その世界観に疑問を抱き、「仮想現実世界」の存在を不可思議に思う方はむしろ少数派だろう(この最新作は、キアヌがどうにもジョン・ウィックに見えてしまい没入感に浸れなかったのは私だけではないと信じたい)。
しかし20世紀末当時、一緒に鑑賞したベラルーシのバレリーナは劇場から出てきた瞬間「あまり、よくわからなかった」と感想を漏らした。
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メタバースは「何ができるか」よりも「どう使いこなすか」
時代背景としては、Windowsが普及し、インターネットが「ダイヤルアップ」として一般化した頃。
少々無理からぬ感想ではあるものの、星新一に慣れ親しみ、フィリップKディックやレイ・ブラッドベリーを読んで育った昭和のおっさん(当時はまだおっさんではなかったが…)は、『The Matrix』がサイエンス・フィクション作家ウィリアム・ギブソンの『ニュー・ロマンサー』をベースとしている点に気づき、上から目線で解説、バレリーナに対し「まぁ、キミの想像力の欠落の問題だな」と言い放った。
もちろん帰路、すっかり喧嘩になった事実は言うまでもない。なお単なる自慢だが、レイ・ブラッドベリーとのツーショット写真とサイン本は今も私の宝物である。
弁護の為に記しておくと彼女はコロンビア大学卒であり、決して「おつむが弱い」者として片付けてしまうわけにはいかない。問題点はまさにそこにある。
教養があり、学がある人間であっても、個人が抱えている概念を変える、動かすのは難易度が高い。疑似体験にもっとも近い劇場での映画を持ってしても…だ。
P&Gなどの大手外資系企業で育ちながら、公の場で「生娘をシャブ漬け」などと発言してしまうのは、こうした概念が固定されたままとなっているがゆえだ。たとえ話として「的を射た」とばかり発言、集中砲火を浴び解雇された事件は、固定概念の表層化としてわかりやすい例だろう。
昭和のおっさんにとって携帯電話というツールは幼少期におけるSFでの出来事であり、その携帯電話にカメラが内蔵され、さらにはスマホという形をもって「パソコン化」されるなど、テクノロジーの進化スピードに驚かされるばかりだ。
テクノロジーの進化に対し、個人の抱える概念はそのスピードに追いつかない。いやむしろ、概念はテクノロジーの進化に置いてきぼりを喰らっているとして過言ではない。
私自身、ある調べ物をし問い合わせ先の電話番号を探し当て、ペンとメモを取り出し、その番号を書き写そうとした際、脇から部下が携帯電話を取り出し、その電話番号の部分を内蔵カメラで撮影、「このほうが簡単ですよ」と諭されたのは、いったい何年前の出来事だったろう。
撮影後に現像、プリントという工程を挟まなければならない「フィルム」の時代に育ったおっさんとしては、写真をメモが代わりに使うという発想そのものが沸かなかった。
逆のパターンもある。ドコモでスマホ・ソリューションについての企画会議中、部下から「松永さん、我々はITの専門家じゃないので無理です」と意見された。
いや、待ってくれ。キミたちはスマホ・ネイティブ。我々の世代がキミたちの年齢の頃は「しもしも〜?」と弁当箱ほどもある携帯電話でこれみよがしに会話しているのは、大会社の社長か平野ノラぐらいしかいない時代だった。
そのおっさんがスマホで何が具現化できる企画を練っているにもかかわらず、若い世代がはなっから、それを諦め泣き言を放つのはいかがなものか……。
少なくともこうしたエピソードは、スマホで何ができるかを考える力とスマホを使いこなす能力は、まったくの別ものである点を示唆しているが、「自分は専門家ではない」と自らを束縛してしまうのも固定概念だ。
これは今後、おそらく「メタバース」についても起こり得る。
「メタバース」が一般的になるに従い、それを利用するユーザーと、メタバース活用を広げようとする企画側には、差が生じる。世界を広げるために足かせとなるのは、テクノロジーの進歩ではなく、人の「概念」だろう。
メタバースにより実現された5つのソリューション
KPMGのまとめによると、これまでにメタバース内で具現化された事象は、5つに大別される。
1.仮想空間におけるライブ・イベント
2.仮想空間におけるコミュニティ(SNS)活用
3.仮想空間におけるゲーム
4.仮想空間におけるショッピングモール
5.仮想空間におけるマッチング・サービス
メタバースに興味をお持ちの方であれば、いくつかは耳にした項目だろう。
1はすでにトラヴィス・スコットやアリアナ・グランデなどが実施し数百万を超える観衆を集めている。
2はオンライン上のコミュニティが、もともと仮想現実である要素を含んでいるので、これそのものも不可思議ではない。
3のゲームは、そもそも「デジタル」ソリューションの誕生とともに発生した娯楽ゆえ、この領域が進化すれば「プレートゥアーン」のような新しい芽も当然生まれる。
4はECサイトを仮想空間に転じたのみなので、発想の転換すらない。
5も、しかりだ。
経済産業省|「仮想空間の今後の可能性と諸課題に関する調査分析事業」の報告書
メタバースにおける、こうした取り組みはもちろん新しい。
しかし、サービスとしてはまだWEB2.0の世界から抜け出しきれておらず、これまでの概念を塗り替えるメタバースならではの新サービス着地が待たれる。そして、それこそがメタバース存在意義の評価となるだろう。
「メタバース病院」は実用化できるのか…
この度、IBMと順天堂大学が「メタバース病院」の実証実験に乗り出したと発表した。
発表によると、家族や患者がバーチャル空間で病院を訪れ、事前にリアルな「病院の雰囲気を知る」など、少々「メタバース」感からはズレるように思えるし、関係者も、「どう活用できるかこれから検討する」とコメントするなど、話題先行感は否めない。
参照:PRTIMES|順天堂大学とIBM、メタバースを用いた医療サービス構築に向けての共同研究を開始
少し笑い話めいた発表内容ではあるもののしかし、こうした新基軸は常に着想こそを大事にすべきだ。
メタバースがゲームやエンタメに活用されるのは興味深く、これまで歴史を塗り替えてきたハードやソフト同様、領域を拡充するには、効果的だろう。
しかし、娯楽だけに終始するのではなく、仮想社会の実用化を促進させてこそ、メタバースの真価が発揮されると考える。
2001年にマイクロソフトが発表した社内向けプレゼンテーションでは、男の子が動物園に遊びに行くと、腕時計型のディバイスが反応「あ、◯◯ちゃんも来てる」と友達の位置情報を把握、連絡を取り合流する…そんな将来像を予見した映像を披露した。
そのプレゼンは、スティーブ・バルマーによるものだったか、ビル・ゲイツによるものだったか、記憶は定かではないが「なるほど、こんな世界も想定されのか」とパーソナル・コンピュータと携帯電話がまったくの別物と捉えられていた時代、マイアミのカンファレンスセンターで感心したものだ。
その構想は後年、アップル・ウォッチなどによるスマートウォッチと各種SNSサービスの融合により、ほぼ具現化されたのはご存知の通り。
マイクロソフトは着想を持ちつつも結局、実現に至らなかった点では、以降の開発計画やマネジメントに問題があったのかもしれない。
もちろん、このコンセプトを打ち出した担当者が、そのままアップルに移籍し、具現化に漕ぎ着けた可能性も否めない。大事なのは、こうした着想を「ばかばかしい」としてゴミ箱に投げ捨ててはならないという教訓だ。
このバーチャル病院も滑稽な夢物語に映る。だが、これを単なる妄想で終わらせるのではなく、社会インフラの一環として行政をも巻き込む牽引力を双方が発揮し、ぜひ具現化を目指してほしい。
例えば、常備薬の処方箋などは定期的に病院に足を運び、問診や触診の上に、医師に処方箋を発行してもらい、処方箋を手に薬局に足を運ばなければならない。
これを患者側がディバイスを装着することで、問診や血圧、脈拍の測定などは可能であり、処方箋などをデジタル化し送信、患者は病院に足を運ばずしても、薬を受け取ることが可能になる。
薬事法の問題を解決する必要はあるが、デジタルによる処方箋発行が可能であるなら、薬も宅配便で届けられ、病院を訪れずともひとつのソリューションとして完結する。
多忙を極め、なかなか病院に足を運ぶことができない現役世代にとって時間の節約になる一方、過疎化などで近隣に病院がない高齢者も自宅にいながらにして、簡素な問診を容易に受けられる将来が予見される。
いずれ、簡単な治療はすべてメタバース病院で、物理的な治療が必要な際のみ通院……という未来像が描けるのかもしれない。
これが具現化すれば、日本におけるメタバース病院の先駆者は、「IBM+順天堂大学」だった……という金字塔の一歩かもしれない。この発表が荒唐無稽なPRのみで終わるのか、それとも近未来的医療の幕開けなのか、ぜひ注視しておきたい。
NTTドコモほか各通信会社が5G時代の到来により、「遠隔外科手術」が実現する…としたプロモーションを見聞きした方々も少なくないと思うが、実際に通信の安定という現実を考えれば、命のかかるような外科手術を委ねるのは、まだまだ「不可能」という文字のほうが現実的だ。
もちろん、5G通信を介して…ではあるが、メタバースを利用した簡易診療のほうがより現実的であり、メタバースそのものはこうした可能性にあふれている。
メタバースに立ちはだかる法的問題点
ただし、ここでは「既成概念」が明文化された「法的規制」が立ちはだかる。KPMGのレポートでは、「仮想空間ビジネスの問題と法的リスクサマリー」として12のリスクを列挙している。
- 仮想オブジェクトに対する権利保護
- 仮想空間内における権利の侵害
- 違法情報・有害情報の流通
- チート行為
- リアルマネートレード
- 青少年の利用トラブル
- ARゲーム利用による交通事故やトラブル
- マネーロンダリングや詐欺
- 情報セキュリティ問題
- 個人間取引プラットフォームにおけるトラブル
- 越境ビジネスにおける法の適用に関わる問題
- 独占禁止法に関わる問題
こうして並べ立てられると、こうした法的問題点をクリアしつつ、メタバースによる新しいビジネス構築など到底不可能ではないかとさえ思えて来る。
しかし、メタバースの企画開発側は、IBMや順天堂大学に限らず、既存ビジネスや概念に縛られずに、新しい発想を次々と繰り出して欲しいもの。
パナソニックなどはメタバース上でのなりすましなどを防ぐためにも、同社が提供する顔認証システムが有効であるとしている。
アメリカ国立標準技術研究所からも「世界最高水準」のお墨付きがあり、羽田空港にも導入が進められている同社の顔認証を活用すれば、メタバース上のなりすましを防ぎ、バーチャルでの金融機関さえ具現化できると提言している。
新しい領域としてのメタバースが実社会に定着して行くためにも、こうした最先端技術を次々とシンクロさせる協業は歓迎すべきであり、閉じられたガラパゴス日本に終始しないためにも、国境を超えた各企業との提携を促進すべきだろう。
各企業の粋を集めることにより、メタバースは人間の固定概念を乗り越えられのか。ステークホルダーのみならず、ぜひ自身の固定観念、周囲の既成概念を打ち破ってもらいたいものだ。自戒も込めて。