「ワーケーション」、なんと魅惑的な響きだろうか。
憧れの書は、イブン・バットゥータの『三大陸周遊記(大旅行記)』である私にとって、ワーケーションはまさに人生の到達点のようにさえ思える。『プルタルコス英雄伝』からの抜粋となる『アレクサンドロス大王伝』を読み耽り、アッリアノスの『アレクサンドロス大王東征記』に現を抜かすのは英雄に憧憬を抱いたのではなく、東征の中に「人生=旅」という図式を見い出さざるを得なかったためだろう。
『エリュトゥラー海案内記』をなぞっては、その地が当時どのような国々だったのか夢想する。『法顕伝』に目を通してはため息をつき、玄奘三蔵の『大唐西域記』やマルコ・ポーロの『東方見聞録』はもはや常識。バットゥータをさかのぼり、イブン・ジュバイルの『メッカ巡礼記』にまで至る病にうなされる始末だ。
大航海時代以降も、ダーウィンの『ビーグル号航海記』、アラン・ムアヘッドの『青ナイル』『白ナイル』、ジイドの『コンゴ紀行』、もちろんスヴェン・ヘディンの著作にはほとんど目を通した。日本人を顧みても西川一三の『秘境西域八年の潜行』や河口慧海の『チベット旅行記』を読みふけっては大陸奥地の旅路を夢見るのだった。
しかし現実的には自らの手でテントを張ったのなど四半世紀前、本格的な登山をした経験もなく、アウトドア派からもっとも遠い存在の自分としては、冒険は難しくとも「ワーケーション」は現実的に思える。そして、そんな夢のような働き方が具現化可能な時代に生きている恩恵を得ようと日々もがいている。
Airbnbのブライアン・チェスキーCEOは『TIME』誌のインタビューにおいて、「かつてのオフィスでの働き方はもはや古い」と断言。同社ではリモートを中心とした働き方は常識であり、年に3カ月以内であれば海外からの勤務もさえも推奨している。もちろん同社の特性が前提にあるものの、3カ月も海外からのワーケーションが担保されているとは、なんと素晴らしい会社だろうか。ぜひ日本でもこうした素晴らしいレギュレーションを導入する会社が現れることを期待したい。
<参照>TIME|The Office As We Know It Is Over,’ Says Airbnb CEO Brian Chesky
目次
「どこでもオフィス」で広がる「ワーケーション」の可能性
実は日本でもそれほど夢物語ではないと期待を寄せている。Yahoo! JAPANは2022年に入ってから、それまでのリモートワークをさらに促進させるため、「どこでもオフィス」を打ち出し、それこそ全国どこからでも勤務可能というレギュレーションを敷いた。
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また、同社のようなIT新興企業ばかりか、かつての「日本電信電話公社」、NTT(日本電信電話株式会社)も7月1日より、基本的に「勤務地=自宅」の方針を打ち出し、「出社は出張扱い」として運用をスタートさせた。
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双方ともに革新的な点は、仕事を求めて移住する「上京」が不要となる点。実際、Yahoo!の「どこでもオフィス」の狙いは、すでにどこかの企業に所属している東京近郊のエンジニアを引き抜くのではなく、地方在住の優秀なエンジニアをリクルーティングする人材確保の狙いが大きいと聞く。各地に住み続けながら、そのまま東京の仕事ができる。これが普遍的となれば、東京への一極集中、大都市圏での人口増加問題も解消され、好きな地元、好きな都市、好きな街で就労し続けることが可能だ。
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地方から勤務が可能であるならば現在、観光庁、旅行代理店を主体に推進されている「ワーケーション」も常識となっていく可能性に期待したい。「どこでもオフィス」の発想により、オフィスから自由になった今こそ、観光地のように開放感あふれる場所でも仕事に取り組んでみたいもの。新型コロナの余波により、インドではすでに85%が取り組み、カナダでも25%以上が年に一度はワーケーションを導入しているとBBCは報じている。
<参照>BBC|Workcations: The travel trend mixing work and play
日本でもワーケーションの成功事例をいくつか耳にするが、まだまだ実証実験を含む一過性のものに過ぎず、むしろ地方自治体としてはその誘致には多くの課題が残されているという。
<参照>日経ビジネス|ワーケーション先として選ばれる地方自治体になる処方箋
日本のワーケーションの実態としては、果たしていったいどのような課題があるのか……「伴走支援」と「プロフェッショナル人財」を基盤に、国や地方自治体、地域事業者に対する人財支援・資金調達支援・ビジネスマッチング並びにその仕組みづくりを行うプロフェッショナル・ビジネス・コミュニティの運営事業を推進している一般社団法人地域人財基盤 田蔵大地代表理事に話を聞いた。
ワーケーション誘致、理想と現実にギャップも
まず田蔵理事からは、
「ワーケーションという概念そのものは、実はそれほど新しいものでありませんが、どうしても日本の労働実態、社会環境のせいで、これまであまり知られていませんでした。日本のサラリーマンは通勤し、会社の中で物理的に働くというのが常識の中、どこか業務とは無関係の場所に出かけて行き、そこで働くというのは無理がありました。こうしてワーケーションそのものもこれまでは日の目を見て来ませんでした」
と大前提を説明された。
ワーケーションは20年以上前、2000年頃にアメリカで誕生した概念と言葉。しかし、日本でこの言葉が定着したのは、コロナ禍に入ってから……そこには大きなタイムラグがある。新型コロナウイルス余波により日本の観光業界は壊滅状態、さらに人の「移動」を制限するという新型コロナ対策により、地方経済も完全に停滞。国として、ここから回復を図る戦略のもと、リモートワークの浸透を契機に「ワーケーション」で経済活動のテコ入れを講じようと、助成金予算まで計上された実情があるそうだ。
これだけリモートワークが定着した今になっても、やはり家族と生活されている方の中には「自分専用のスペースがない」「テレカンをする場所がない」などの弊害は残る。そのため大企業の中には、サテライト・オフィスを用意するなどの実例も絶えないほど。そんな状況下、家族と観光地にでかけお父さん、お母さんだけが仕事をするとしても、そのスペースを確保するのは難しいと田蔵さんは指摘する。
「自治体によってはワーケーションへの助成金により、そのスペースを構築し、ワーケーション誘致に力を入れているようですが、どのような業種にでも言えることで、箱だけ作っても人は来ません。何もない土地にワーケーションの箱だけを作るような発想は実効性に欠けると思います。今のところ成功事例と言われているものも、自治体への助成金が打ち切られた後は、長続きしないように思えます。スタジアムは作った、つまりハードは用意したものの、サッカークラブや試合がない、つまりソフトがない……そんな状況では賑わうはずもありませんよね」。
現在は地方自治体、地域社会の支援が業務執行の中心ではあるが、かつてはJリーグでの勤務経験もある田蔵さんだけに、そのたとえ話に説得力がある。
ワーケーションを発展させるには
地方経済活性化のためにも、ワーケーション誘致は目標も高尚であり賛成としながらも、田蔵さんは、日本の社会状況を省みると、一気にその高みを目指すのはあまりにも「ハードルが高いのでは」と指摘する。
確かに、日本のサラリーマン生活では「出張に行く」というだけで「あいつは遊びに行っている」という色眼鏡で見る上司や同僚は後を絶たない。これは日本人特有の「ヒガミ根性」とみられる。しかし、出張しただけでひがまれるような日本のサラリーマン社会において、「ワーケーションする」となると、その理解に及ばないのが現実かもしれない。日本人がこのヒガミ根性を払拭することができない限り、ワーケーションは本当の意味では浸透しなさそうだ。
「ワーケーションを発展させるなら、もう少し足元を見据えた日本の実情を伸ばすべきでしょう」と田蔵さんは提言する。例えば、取引先へと出張に足を運び、お得意先とゴルフ接待などは日本のサラリーマンの典型的な慣習。そうした既存の慣習から、ワーケーションの方向へと導くほうが容易だというのだ。
「まずは仕事ありきです。その地域で既存のお客さんとの親睦を深めたり、新規のお客さんを獲得するため、滞在を延長し、周辺に足を運び観光することは、それほど難しくありません。リモートで希薄になってしまった人間関係再構築のためにも、仕事関係の事業所がある土地に出向き、フェイス・トゥ・フェイスで取り組む。そうして、せっかくの出張先ですから仕事だけではなく、美味しいものを食べたり、温泉に入ったりと周りを観光し、地域にお金を落とす。そうして地域経済が少しでも潤えば、それはすなわち実質的にはワーケーションですよね」。
ワーケーションは東京・地方間の産業が交流するところからはじまる
田蔵さんはむしろ実が伴わないにもかかわらず、お題目のようにワーケーションと唱え、誘致のために施設に予算を投下するのは、実効性が希薄だと危惧している。助成金が尽きた際、ワーケーションそのものがシュリンクもしくは消滅しないためにも、こうした実態をともなった方策を進め、その延長でワーケーションが本当に定着すればよいと考えている。
そのためには、リモートワークに向き不向きの業種があるように、ワーケーションについてもその向き不向きはあらかじめ棚卸しをしておくべきと進言する。
「いくら推進しても、接客を伴うようなサービス業や、工場に詰めるような製造業はなかなか難しいですよね。そうした業種に対し自治体がいくら旗を降ったところで実現性は乏しいですよ」とのこと。
「一般社団法人地域人財基盤」の支援先として岡山県湯郷での取り組みを紹介してくれた。現在、湯郷には女子サッカー・チーム「岡山湯郷ベル」がある。しかし、選手たちはサッカーのみで生計を立てて行くのはかなりハードルが高いゆえ、地域で就労できるよう支援を行っている。地元企業としては人手不足という課題を抱え、クラブは「選手」という労働力を供給する。つまり、岡山湯郷ベルが人材不足という地域課題の解決に貢献しているのだ。更に、選手だけでなく、地域で専門人材などをシェア採用したり、移住定住を促進する事業や、地域の資源を活用した観光やビジネスにおける集客事業を準備しているという。当然、ワーケーションも、こうして他の地域からやって来た人々と、地域とのパイプを太くすることで、さらなる具現化へ動き出すのではと読んでいるそうだ。
この事例で思い出した。私自身かつて、岡山国際サーキットで年に1度PR業務に関与していた。その際、最寄りの宿は湯郷温泉しかなく、温泉宿に宿泊しては毎日サーキットまで通ったものだった。振り返れば、実質的にあれはすでにワーケーションだったのだ。
ワーケーションの各自治体担当者には、この田蔵さんの提言を広く知らしめたいもの。観光庁からの掛け声だけのワーケーションではなく、日本の実態に即した働き方の定着のためにも、まずは産業政策として地元企業と地域外の企業を結びつけたり、その接点を見直すことから始めてはいかがか。ヒガミ根性のない日本社会の成熟を促し、ワーケーションを定着させるためにも。
個人的にはこの時勢に乗って、死ぬまでには「夢のノマド・ワーカー」となりたいもの。この夢が、日本社会におけるワーケーションの定着に懸かっていると考えると、やはり働き方改革への興味は尽きない。
▽ワーケーション実践の3事例を紹介
フレキシブルな働き方が人生の選択を増やす。働き方事例シリーズvol.4「ワーケーション」